「新潟新聞」の記事では,「石造水門」の爆破の有様が以下のように詳述されています。
第26回 曽川切れ(4) 栗ノ木川石造水門爆破 その二
2011.11.10

- 栗ノ木川石造水門爆破を伝える「新潟新聞」

- 石造水門
- 亀田郷農業の被害
第25回 曽川切れ(3) 栗ノ木川石造水門(石造閘門)爆破 その一
2011.10.11

- 「栗ノ木川石造水門」の位置図(地図は大正3年版地形図より)
泥の海と化した沼垂は,3日午後四時になってもなお刻々増水し,何時減水するかほとんど予測できないほどでした。
倒壊する家屋もふえる一方です。 このままもう一昼夜過ぎたら,沼垂全町は容易に再起不能となるのではと考えられました。

- 石造水門
- ダイナマイト
第24回 曽川切れ(2) 亀田の洪水騒ぎ 床上浸水6尺
2011.09.07

- 「曽川切れで水没した亀田町」(「写真集 亀田の百年」)
大正6(1917)年10月2日、曽ノ木方面堤防破堤の連絡が亀田町に届きました。

- 泥潟堤防
- 堤防切り払い
- 石造水門
第23回 曽川切れ(1) 曽川切れの沼垂町
2011.08.09

- 写真「曽川切れの時の沼垂町」(『写真集ふるさとの百年』《新潟日報事業社》)
歴史に残る「曽川切れ」は,大正6年(1917年)9月末日に上陸した台風によるものでした。

- 信濃川堤防
- 第二親松堤防
- 栗ノ木川堤防
第22回 亀田郷での「木津切れ」の被害の様子とそれ以後
2011.07.08

- 阿賀野川の現在の河道
新潟新聞では,さらに亀田郷全域の惨状を「これが結果として濁流滔々としてほとんど二十一大区の全部を襲い,亀田方面は,昨日中なお湛水四五尺に及び,沼垂方面もまた,しばしば鐘を鳴らして法螺を吹きて防禦に力め,下流地方の横越小杉の耕地は,残す所なく浸水して,大淵蔵岡方面もまた床上浸水の惨状を呈せり。堤防欠壊の全長は,24間に及び,村民は総出で水戸止めに尽力しつつあるが,大字木津にて奔流中に流失せる家屋17戸に及び,立木に上り避難せる者,立木の根こそぎとなりたるため,相抱きてみるみる水中に没する者,乳倉に乗りたるまま流れ行く嬰児など,惨状ほとほと目も当てられず。(中略)

- 中蒲原郡阿賀野川治水会
- 阿賀野川改修工事
第21回 大正二年の「木津切れ」は四個所の堤防を破って流れ込んできた洪水
2011.06.07

- 四つの堤防を破った「木津切れ」(「新潟新聞」記事より構成)
大正2年の木津切れと大正6年の曽川切れの二つで,亀田郷の大水害は終わりです。

- 新潟新聞
- 四個所の破堤
第20回 曽川切れでの亀田町への救援物資
2011.05.10

- 大正6年曽川切れでの亀田町の救援対策と各地よりの救援物資・義捐金などの記録
東日本大震災で、連日のように被災地への支援などが報じられています。
大変な災害に遭った人々を支えようという、各地からの心の籠もった行動や支援物資、支援金などです。
このような人々の暖かい励ましが、実は、96年前に激甚な水災を受けた亀田の人々へもありました。それは、「曽川切れ」として歴史に残る大災害でのことです。
亀田郷土資料館に、大正6(1917)年10月の曽川切れでの水災に遭った亀田の人々への支援の記録がありました。その記録をご覧下さい。
この水害では、亀田町は全戸数1610戸中、床上浸水が742戸、床下浸水が173戸という災厄で、そのため、その日の食事に困窮する人も多数出ました。亀田町では、10月3日に直ちに新潟県に対して395戸1453人への緊急の炊き出しの実施を申請しました。
水災救援物資は、水害発生の10月から翌年5月までの間、各地から次々と亀田町に届いたと記録されています。
現金:1794円79銭(米価対比で換算すると、およそ300万円くらい) 手拭:165筋 手拭(反物裏地、古着類一括):230反 蒲団:数量不明 白米:4斗5升 甘藷:4俵 塩鱒:百本 大根:885本
糯稲種子:1斗6升 高田早生種籾:8升 種籾:1石1斗5升 石白種子:1斗
赤茎牛蒡種子五勺入:15袋 藁:5457束 柴:213束 調胃散:10ヶ
災難に遭った人々を思いやる行為は、人を憂うという優しい心の発露として日本人が持っている大切な心情です。亀田郷の水害の歴史からも、それを学ぶことができるのではないでしょうか。

- 曽川切れ
- 炊き出し
- 種穀籾
第19回 亀田郷水害予防組合の設立
2011.04.08

- 明治44年の阿賀野川下流部(「古地図で探る越後の変遷」より)
大正2年8月,横越村木津での破堤で,横越嶋は広範囲に水没の被害を受けました。

- 木津破堤
- 栗ノ木川普通水利組合
第18回 新栗の木川開鑿
2011.03.07

- 新栗ノ木川水路図(明治44年測図5万分の1地形図新潟より)
江戸時代,横越嶋には,新発田藩領の村の他に,天領の村々がかなりありました。

- 栗ノ木川分水路事業
- 水利組合条例
- 大河津分水
第17回 亀田郷にとってはとても大切な「鳥屋野潟」
2011.02.08

- 横越嶋の海抜図(「国営かんがい排水事業 亀田郷地区 事業誌」より)
現在の鳥屋野潟のデータは,新潟市のHPでは次のように書かれています。
流域面積 約99.8km2 ,潟面積 約190ha(栗ノ木川合流点~鳥屋野潟放水路),水面積 約160ha,外周 約8km
江戸時代の地図などを見ると,当時の鳥屋野潟は現在よりはよほど広かったようです。

- 平成10年8月の水害
- 鳥屋野潟排水機場
- 鋤簾掻き
















